Left After the Credit: 思惟のフィルムノート

アート系・インディペンデント系の海外映画を中心に、新旧問わず感想や考察を綴っています。

【ネタバレあり】私の身体は誰のもの?—映画『Swallow/スワロウ』感想+考察

画像引用元:映画.com『Swallow スワロウ』フォトギャラリー(画像3)より引用(著作権は Swallow the Movie LLC に帰属します)

(原題:Swallow / 2019年製作 / 2021年日本公開 / 95分 / カーロ・ミラベラ=デイビス監督 / フランス、アメリカ)

※本記事は映画『Swallow/スワロウ』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

主人公ハンターは妊娠をきっかけに異食症という摂食障害を患う。旦那とその家族との食事中に話を阻害された際にグラスに入った氷を飲み込み、その快感を知ったことがきっかけだ。それから彼女は金属製の押しピンや電池など危険なものを飲み込み、排泄するようになる。排泄時に彼女はその異物を取り出し、トロフィーかのように化粧台に並べていく。これは疑似的な出産でありながら、痛みや苦しみを伴う自傷行為ともいえるだろう。以前から抑圧と孤独を感じていた様子の彼女。妊娠を報告した途端、彼女の旦那リッチーとその家族は、優しくはありつつもどこか不気味に、彼女の目ではなくお腹のあたりばかりを見るよう感じで、彼女がまるで後継ぎを産むための道具かのように接するようになる。何不自由のない生活を送っている彼女だが、自分の体が他人の欲望を叶えるためだけに存在しているように感じ、私の身体とこの痛みは私だけのものだと思うために異食症による自傷行為を重ねていたのではないだろうか。


作品の前半は彼女の異食症をスリリングに描き、次はどんな危険なものを飲み込むのだろうか、彼女がそれを原因に命を落としてしまうのではないか…と落ち着かない気持ちにさせる。しかし中盤の彼女の出自に関わるある告白をきっかけに物語は思わぬ展開を見せる。

 

ハンターはレイプにより産まれた子というのだ。母親は厳格なキリスト教福音派の為、中絶は選択肢になかった。他の姉妹と同じように愛され、育ってきたハンターだったが、ずっとその出自が彼女の心に暗い影を落としていた。母親が傷つけられ、その意思に反して生まれた自分は生きて居ていいのだろうか。自分が妊娠を経験し、生を与える立場となったことでその感情がより強くなっていった。

 

義父が買い与えてくれた豪邸でのパーティーで、ハンターは旦那が彼女の病気を周りにバラしていたことを知り、彼女の体にまつわることはパートナーであれば許可なく大っぴらにして良いと認識されていることに怒りを覚え、動揺する。

 

その出来事のせいか、更に異食症が深刻化し、義母たちに精神病棟に入院させられそうになった彼女はお手伝いのシリア出身の看護師ルエイの手を借りてその場を逃げる。最初は彼女の病をある意味ぜいたくな悩みだと言っていたルエイだったが、ハンターと過ごしていくうちに、彼女の生活の閉そく感や、お城のなかで育てていた孤独に気づき、寄り添うようになる。ルエイは彼女の唯一の理解者だった。

 

ハンターは一時モーテルに逃れ、実家に隠れるべく母親に電話する。電話に出た母親は優しい口調でハンターは一瞬安心するのだが、姉妹家族が来ているため、滞在は出来ないと言われてしまう。母親にまで蔑ろにされるのか。
私がこれほどまで蔑ろにされるのは私のせいなのか?いや、違う。
その後彼女が向かった先は、かつて母親をレイプし、自分に生を与えた男の家だった。
ハンターがそこで目にしたのは、自分の知らない女と結婚し、幼くかわいい娘を持つ「良い家庭の父」だったのだ。
そこで彼女は自分があの時のレイプで生まれた子だと告げる。「ここを仕切っている(in chargeという表現を使っていた)のは誰?言いなさい!」「私でしょ!」彼女はここで初めて感情を露にする。

「レイプをしてどんな気分だった?」と聞くと「神のような気分になれたんだ」と述べる男。そういえばキリストも男だ。やはり女の体は神が創造した子供を産むためだけの道具なのか?ラスト、主人公ハンターはあるものをSwallowすることでその構造から逃れる。

 

彼女が最後に飲み込んだもの、それは中絶薬だった。

映画は冒頭、子羊を処理し、ハンターが食する場面から始まった。キリストは神の子羊とも呼ばれる。この映画はもしかするとキリスト殺しの物語なのだろうか。

エンドクレジットではずっと女子トイレを行き交う人々の姿が画面に映される。トイレは神聖な場所だ。女が唯一、男からも他人からも逃げられる空間だから。私自身、街を歩いているだけで自分が見世物にされているような、男と目が合う度に何か評価されているような、そんな気分になることがある。そんな中、トイレは自分の家以外で唯一安心できる場所かもしれない。

 

近年のフェミニズムついて描いた作品の中でも特に心に重くずっしりと余韻を残す一作だ。

私の身体とこの痛みは私だけのものだと思うために自傷行為を続ける彼女の姿と自分が重なってしまい、鑑賞後は嗚咽と涙が止まらなかった。

私の体は、私の選択は、私の人生は、私の心は、私だけのものだ。

 

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