画像引用元:映画.com『けものがいる』フォトギャラリー(画像11)より引用(著作権は Carole Bethuel に帰属します)
(原題:La Bête / 2023年製作 / 2025年日本公開 / 146分 / ベルトラン・ボネロ監督 / フランス・カナダ合作)
※本記事は映画『けものがいる』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
ベルトラン・ボネロ監督による本作『けものがいる』は、2044年・2014年・1910年という3つの時代を行き来しながら、一組の男女の転生と魂の連続性を描く壮大な物語だ。
この映画が問いかけるのは、「何が人間を人間たらしめるのか?」そして「“けもの”とは何なのか?」という人間にとって根源的な問題である。
時代ごとのあらすじ
▶ 2044年・パリ
AIが社会を支配し、人間は単純労働しか担えない時代。より高度な職に就くには「洗浄」と呼ばれる“儀式”を通じて過去の記憶を巡りながら感情を消去しなければならない。
主人公ガブリエル(レア・セドゥ)は自分の能力を証明する仕事に就くために「洗浄」に挑み、前世の記憶と向き合っていく。
▶ 1910年・パリ
ピアニストのガブリエルは、愛する夫と結婚しながらも、どこか退屈で不安定な日々を送っている。
晩餐会で出会ったイギリス人のルイ(ジョージ・マッケイ)は、6年前にガブリエルと会ったと言い、彼女が“けものに襲われるような漠然とした不安”を語っていたことを思い出させる。互いに惹かれ合いながらも、ガブリエルは「夫だけを愛している」とルイを拒絶し、その後2人は洪水で浸水してしまった人形工場で命を落とす。愛は結ばれることなく終わった。
▶ 2014年・ロサンゼルス
女優志望のガブリエルは豪邸の留守番バイトをしながらオーディションを受ける日々を送る。一方、ルイは女性への怒りやミソジニー思想を動画で発信する孤独な大学生。
ルイはガブリエルをストーキングし、地震をきっかけに対面を果たすが、彼女の優しさを「罠」だと捉えてしまい、結局ガブリエルを銃で殺してしまう。
▶ 2044年・パリ(再び)
「洗浄」の最中、ガブリエルは過去の記憶の中からルイの存在を強く思い出し、儀式を途中で放棄する。
彼女はアンドロイドの協力を得て、ルイとの再会を果たす。そしてついに、「愛している」と彼に告げる。ルイは穏やかな笑顔で「僕もだよ。僕たちは前世でもつながっていたらしいね」と応える。彼は今、政府の仕事をしているらしい。つまりルイは「洗浄」を完了し、感情を失った存在=アンドロイドのような人間になっていたのだ。
それに気づいたガブリエルは、絶望の叫びを上げる。その叫びが空間に響く中、映画は幕を閉じる。
なぜ2014年のルイはガブリエルを殺したのか?
1910年、ルイはガブリエルから「私があなたを愛しているとでも?」と言われてある意味拒絶されてしまい、その直後に2人は命を落とした。
この“拒絶された記憶”が魂の傷として刻まれ、転生後のルイに「女性は自分を惑わし、傷つける存在だ」という歪んだ認識を植えつけたと解釈できる。その積もった憎しみが2014年のルイを“加害者”にしてしまったのだと考えた。
人間と、似て非なるものたち
本作には3つの時代それぞれに、人間に似せて作られた存在が登場する。
1910年:赤ちゃん人形(愛されるために作られた、従順な他者)
2014年:音声機能つきの人形(機械としての再現と感情の空虚さ)
2044年:AI搭載のアンドロイド(感情を持たない“より良い人間”)
彼らは人間に似ているが、決定的に違うのは「感情」や「魂」の有無だ。
それゆえ、洗浄を終えて感情を失った2044年のルイと再会したガブリエルは絶望の叫び声を上げる。愛する対象が人間でなくなってしまったからだ。
「けもの」は誰か? 何か?
この映画のタイトルである「けもの」とは一体何だったのか。私は、それを各時代のガブリエルが心の奥底に抱える“醜さ”や“弱さ”の象徴だと解釈した。
1910年:ルイへの愛に素直になれないこと。結婚という社会制度の息苦しさ
2014年:見た目への執着、他人との比較、ルッキズムに加担する自分への嫌悪
2044年:感情を捨ててまで自己証明しようとする自己顕示欲
ガブリエルは最終的にこの“けもの”を受け入れると同時に拒絶し、感情のある人間として生きようとした。だが、ルイはすでに洗浄を終えてしまっていたため2人の愛は実らずに完全に終わりを遂げてしまう。悲しい…。
レア・セドゥとジョージ・マッケイの存在感
どの時代でもレア・セドゥの存在感は圧巻で、彼女を見るだけでこの映画の価値があると感じた。特に、ガブリエルという人物の一貫した魂を時代を越えて表現できる女優はそう多くないだろう。そして対照的に、ジョージ・マッケイは時代ごとに全く別の人間に見える演じ分けを見せ、演技力の高さが際立っていた。
終わりに:けものは、誰の中にもいる
『けものがいる』は、転生の物語でありながら、「人間の感情」や「恐れ」についての物語だったと思う。
けものとは、誰か他人ではない。
ガブリエル自身が、そして私たち自身が抱える「自分の中の認めたくない部分」こそが、けものなのかもしれない。
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