画像引用元: 映画.com『デビルズ・バス』フォトギャラリー(画像7) より引用(著作権は Stenmark Films に帰属します)
(原題:Des Teufels Bad / 2024年製作 / 2025年日本公開 / 121分 / ベロニカ・フランツ監督、セベリン・フィアラ監督 / オーストリア・ドイツ合作)
※本記事は映画『デビルズ・バス』のネタバレを含みます。結末のネタバレを含む章の前には注意書きを記載しています。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
1750年のオーストリア。深い信仰と厳格な家制度のもと、女性たちは定められた役割を果たすことを求められていた。『デビルズ・バス』は、そんな時代に生きた一人の女性アグネスが、自らの苦悩と向き合い、ある選択をするまでを描いた歴史ホラードラマである。本作は、実際の裁判記録や歴史的事例に基づき、信仰がいかに歪んだ形で女性を追い詰めてをいくか描き出す。
筆者にとって本作は、公開前にはまったくのノーマークだったが、思いがけず今期屈指の“掘り出し物”だった。『ガール・ウィズ・ニードル』が好きだった方は、ぜひ本作も観てほしい。共通するのは、過酷な現実のなかで“女性であること”に課される理不尽と、それを暴く衝撃的な映像表現だ。
あらすじ
アグネス(アーニャ・プラシュグ)は、愛する夫ヴォルフ(ダービド・シャイド)と結婚し、新たな生活を始める。しかし、慣れない環境や家族との関係、日々の重労働により、次第に心身のバランスを崩していく。
彼女の体調不良に対し、村では「悪魔が取り憑いた」とされ、首の後ろに馬の毛を縫い込むという民間療法が施される。やがてアグネスは自ら命を絶とうとするが、キリスト教では自殺が大罪とされ、救済されないと信じられていたため、思い留まる。そして彼女は、ある行動を起こすことで、神の赦しを得ようとする──。
主人公アグネスの生きづらさ
新婚のアグネスは、良い妻になれるよう祈っていた。当時の「良い妻」とは、つまり子どもを産むことだった。
初夜に夫を誘うものの、めんどくさそうな様子で夫は応じず、肉体関係は成立しない。 その後も何度か誘うアグネスだったが、夫は疲れているのか、その気がない。(ネタバレ注釈*1)
そもそも、ふたりが暮らす家は夫ヴォルフが相談もなしに借金までして購入したものであり、アグネスはまったく喜んでいない様子だった。新婚の時点からすでに、夫婦関係の破綻は明らかだった。
そして姑との関係も最悪だ。川で魚を捕る仕事の最中に人目のある中でアグネスに厳しく当たったり、毎晩家にやってきて勝手に食事を作ったり、鍋の置き方にまで口を出す。アグネスが姑の介入に苦言を呈しても、夫は聞く耳を持たない。さらに夫は彼女が大事にしていた虫の標本を勝手に火にくべてしまう。
同年代の友人ができても、姑のせいで関係が悪化する。次第に居場所を失ったアグネスは実家に戻るが、「帰ってきてはだめ」と言われ、無理やり連れ戻されてしまう。
彼女が絶望するのも当然だ。彼女がどんどん精神のバランスを崩し、ベッドから動けず着替えもできなくなる様子は、おそらく現代であればうつ病と診断される状態と言えるだろう。
しかし、当時はまともな医療など存在せず、「悪魔が憑いた」とされ、民間療法しか施されない。神にすがるしかなかった彼女は、やがてある行動に出る。
彼女に与えられた唯一の救い
精神を病んでいくアグネスは、やがて自傷行為を繰り返すようになり、自ら命を絶ちたいと願うようになる。しかし、当時のキリスト教社会では、自殺は「神から与えられた命を自ら絶つ」という最大の罪とされていた。自ら命を絶てば、教会による救済は得られず、地獄に堕ちると信じられていた。作中でも近所に住んでいたレンツという男が自殺し、教会で断罪され、まともな埋葬もされない様子が描かれる。
一方で、他人を殺害し、死刑判決を受けた者には処刑前に懺悔の機会が与えられ、赦しを得て天国に行けると考えられていた。このような背景から、アグネスは何と見知らぬ男の子を殺害するに至る。キリスト教圏の中世〜近世では、自殺願望を持つ者があえて他者を殺害し、死刑により命を終える「代理自殺(suicide by proxy)」が実際に起こっていた。
アグネスもまた、自らの苦しみから解放され、神の赦しを得るためにこの道を選んだのだ。倫理的に正しくないのは明白だ。しかし、信仰と教会がすべてだった時代、自殺願望を抱くほど追い詰められた者にとって、それは“救われたうえでこの世を去る”唯一の手段だった。
彼女は男の子を殺めたことを神父に告解し、赦しを得たとき、笑いながら泣き叫ぶ。その狂ったようにも見える姿は衝撃的であると同時に、彼女がようやく「救い」に手が届いたと感じていたことを物語っていた。
そして、彼女の処刑には、結婚式のとき以上に多くの人々が集まり、まるで祝祭のように騒ぎ踊っていた。そのうえ、やじ馬たちは処刑後のアグネスの血を買い求め、飲み始めるのだ。この光景もショッキングで、彼女の死が信仰によって消費されているように思えた。
ヤギのメタファー
作中、アグネスの家畜としてヤギが登場する。ヤギはキリスト教において悪魔の象徴でもあり、罪の象徴として追放される存在である。
アグネスが育てていたヤギに蛆がわき、姑と夫によって首を掻っ切られる場面は、アグネスの運命を予兆するかのようだった。のちにアグネスは斬首刑に処されるが、その殺され方の構図はヤギのそれと重なっている。
当時の「代理自殺」は、ほとんどが女性によるものだったという。それは、女性が制度のなかで家畜同然に扱われ、軽んじられていた結果の惨事でもある。
おわりに
『デビルズ・バス』は、18世紀のオーストリアを舞台に、信仰と制度に縛られた女性の苦悩と選択を描いた作品である。現代の私たちから見れば、アグネスの行動は理解しがたいかもしれない。しかし、当時の宗教観や社会構造を知ることで、彼女の選択の背景が浮かび上がってくる。
タイトルの『デビルズ・バス』は、18世紀オーストリアで使われていた俗語に由来している。当時、うつ状態にある人は「悪魔の風呂に浸かっている」と表現され、悪魔に心を開いたからそのような精神状態なるのだと信じられていた。
監督は「この映画は、うつ状態という現象を描いた作品でもあり、それは現代にも通じる問題だ」*2と語っている。成果主義の現代社会でも、社会になじめず、疎外感を抱えてうつになる人は少なくない。アグネスも「良き妻」「子を産む女」であろうとするプレッシャーのなか、理想と現実のギャップに追い詰められていく。それは今も昔も変わらない、普遍的な問題だ。
本作は、信仰がいかに個人の自由と命を縛ってきたかを描くと同時に、今なお残る家制度のもとで女性たちが受ける抑圧、そして精神疾患というテーマを、痛ましい映像の連なりで観客に突きつける。
アグネスの物語は、過去の出来事ではない。それは、いまなお世界のどこかで繰り返されている現実なのだ。
*1:彼がその後自殺してしまうレンツと親しくしているのをアグネスが眺めている描写があり、2人は同性愛のパートナーだったのかもしれない。