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【ネタバレあり】愛はプログラム可能か―映画『コンパニオン』感想

画像引用元: コンパニオン | ワーナー・ブラザース公式サイト より引用(著作権は WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND DOMAIN PICTURES, LLC に帰属します)

(原題:Companion / 2025年製作 / 2025年日本公開(配信) / 97分 / ドリュー・ハンコック監督 / アメリカ)

※本記事は映画『コンパニオン』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

あらすじ

舞台は近未来。主人公アイリス(ソフィー・サッチャー)は、恋人ジョシュ(ジャック・クエイド)とその友人たちとともに、湖畔の別荘で週末を過ごす。だがその最中、彼女は自分が人間の恋人役の“コンパニオンロボット”として設計された存在であることを知ってしまう。友人たちの殺人計画に都合よく利用され、自身も殺されそうになった彼女は、自分を支配しようとするジョシュに反撃を開始する——。

 

AIロボット映画の新たな傑作

AIが登場する作品は数多に存在し、個人的にはここ数年、目新しいものを感じる作品に出会えておらず、もう語り尽くされたジャンルという印象を持っていた。しかし本作は、主人公アイリスが自らをAIだと知らずに人間と関係を築いているという点において、新鮮味がある。

加えて、嘘がつけないという制限(実際のAIはまだハルシネーションしまくるので、早くそうなってほしい気もする)が、「人間はなぜ嘘をつくのか?」という皮肉にもなっており、物語に深みを与える要素となっているのも面白い。

血まみれになって逃げているアイリスが警察に止められた瞬間、質問をされても嘘をつけないため、とっさに言語設定をドイツ語に変えてやり過ごす場面は、ユーモアが効いていて大いに笑えた。

 

男性にとって“都合のよい”存在からの解放

本作は一見、『her 世界でひとつの彼女』のようなAIとのラブロマンス作品のように見えるが、本質は“支配される女性の解放”の物語である。

ジョシュはアイリスを純粋な恋人としてではなく、思い通りに着飾らせ(彼女だけがパステル調の少しレトロで幼い印象の服を着ているのも象徴的だった)、自分の思惑通りに反応する存在として消費している。

その支配構造にアイリス自身が気づいた時、彼女は初めて「自我」を持ち始める。
そして、その目覚めた自我で自由を獲得しようとする展開には、恋愛における支配と従属の構造から脱却しようとする勇敢な女性像が描かれており、そこには痛みと爽快さが同居していた。

 

 “自律”のためのサイコスリラー

本作は必ずしもフェミニズム的視点のみで考察しなくとも、純粋なスリラー映画として十分楽しめる。

追い詰められた者が逆転に出るという構造は古典的だが、序盤のアイリスとジョシュがスーパーマーケットで出会うラブロマンスのような雰囲気からは想像できないほど、その描写は容赦がない。
中盤から後半にかけて、登場人物たちが次々と殺されていく描写には、サバイバルスリラー的ジャンル特有の生々しさがある。それでいて、これらがアイリスの“自律”の獲得過程として描かれているのが痛快だ。

 

ソフィー・サッチャーの存在感

『異端者の家』に続いて、本作でもソフィー・サッチャーは唯一無二の存在感を放っている。

終盤、アイリスがジョシュに知能を0%に設定され、ろうそくの炎で手を焼かれながら無言で涙を流すシーンは、特に印象的である。その涙は、ただの苦痛によるものではない。信じた相手に裏切られた悲しみ、かつて抱いた愛への未練、そして肉体的な痛み——そして何よりそれらすべてがプログラムによって再現された感情なのだと、本人が理解している切なさが滲んでいた。そんな複雑な感情が伝わってくる、極めて繊細な演技で素晴らしかった。彼女の今後の活躍も楽しみである。

 

ラストに残る“爽やかさ”

終盤、アイリスはコンパニオンロボットの製作元である企業の技術者・テッドの手助けによって、「完全自律能力」を手に入れる。

葛藤の末、彼女はついにジョシュを葬り、骨組が露出した機械の手でひとり車を走らせる。
その姿はわずかに不気味ではあるものの、彼女の笑顔には大きな希望が宿っていた。
もう誰にもプログラムされることのない人生を、彼女自身の意思で手に入れたという“本物の記憶”と共に、これからは生きていくのだ。

最終的にはターミネーターのような破壊者ではなく、“生き延びた女”として人間から解放されたロボット像が提示されるラストは、現代的で新鮮だった。
血と怒りと涙の果てにようやく得た自由。その先にあるのは、“誰かのため”ではない人生を歩むという、彼女自身の決意そのものである。

 

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