ブランドン・クローネンバーグの直近作を2本一気に観たので、感想を残しておこうと思う。ラストネームでお察しの通り、彼はデヴィッド・クローネンバーグの長男だ。私はパパ・クローネンバーグの作品は一通り観ており、特に2000年代以降の作品が好きという(おそらく)珍しいタイプのファンである。
ブランドンの初長編監督作『アンチヴァイラル』は、2013年当時にDVDレンタルで2回鑑賞した。当時のメモを引っ張り出してきたところ、主演ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの病的な雰囲気と作品のトーンが非常にマッチしており、かなり気に入ったようだった。
※以下、映画『ポゼッサー』と『インフィニティ・プール』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
ポゼッサー
画像引用元: 映画.com『ポゼッサー』フォトギャラリー(画像14) より引用(著作権は RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. に帰属します)
(原題:Possessor / 2020年製作 / 2022年日本公開 / 103分 / ブランドン・クローネンバーグ監督 / カナダ・イギリス合作)
あらすじ
主人公は、他人に憑依して暗殺を請け負う組織のエージェント、ヴォス(アンドレア・ライズボロー)。ある任務を重ねるうちに、憑依先との境界が曖昧になり、精神の均衡を失っていく——。
感想
他人に憑依して暗殺を遂行するという設定上仕方ないのだが、登場人物全員に意図的に“感情移入できない構造”が施されており、観ているこちらの感情が完全に置いてけぼりになる。そのため、どんどん、“存在しない世界”の、“存在しないトラブル”を見せられているような気分になってくる。
根底にあるのはアイデンティティの喪失について。ラストでは家族ではなく仕事を選んだ(選ばされた?)主人公が、ついに感情を失ってしまっている……という解釈で良いのだろうか。
偉大な父・デヴィッド・クローネンバーグを引き合いに出すのも酷だが、人体破壊やボディホラー的表現の解像度はさすが。特に憑依や精神の乖離を描く場面は、観客の認識までもぐらつかせるような没入感がある。視覚が歪み、音がねじれることで「自分とは何か?」という主題を身体レベルで訴えてくるような感覚。物語への共感が薄い分、映画そのものを“体感する”作品としては非常に優れていると思った。 世界観やセットには妙な清潔感があり、それが近未来の謎システムの不気味さを引き立てている。このあたりにはブランドン独自のセンスが光っている。
インフィニティ・プール
画像引用元: 映画.com『インフィニティ・プール』フォトギャラリー(画像11) より引用(著作権は Infinity (FFP) Movie Canada Inc., Infinity Squared KFT, Cetiri Film d.o.o. に帰属します)
(原題:Infinity Pool / 2023年製作 / 2024年日本公開 / 118分 / ブランドン・クローネンバーグ監督 / カナダ・クロアチア・ハンガリー合作)
あらすじ
作家としては鳴かず飛ばずのジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)は、妻とのバカンス先で起こした事件をきっかけに、現地の“闇の法制度”に巻き込まれていく。謎の女・ガビ(ミア・ゴス)に翻弄され、ジェームズは次第に自我の崩壊へと向かっていく——。
感想
アレクサンダー・スカルスガルドとミア・ゴスのスター共演のおかげもあり、『ポゼッサー』よりもやや開けた世界観で、個人的にはかなり楽しめた。
海外旅行で“自分を見つけよう”としていた主人公が、むしろ“自分を失う”ことで安寧を得るという逆説的な物語。富裕層が海外旅行を通じて現地文化を理解しないまま消費し尽くす浅はかさへの批判は、ブランドン作品の中でも比較的一般層に伝わりやすいテーマ、問題提起だと思う。
義父の七光りで本を出したが売れておらず、2作目も書けていない作家という設定には、ブランドンが『アンチヴァイラル』後の自身の投影しているように感じずにはいられなかった。そしてそんな主人公が、ミア・ゴス演じる支配的な母性にアイデンティティや羞恥心を破壊されていく、という展開はかなり興味深い。
物語構造はセックス、暴力、ドラッグ、そしてクローンといったタブー的要素を通じて、観客の倫理観そのものを試すような設計になっている。特にミア・ゴスの“狂気の扇動者”としての存在感は圧倒的で、どこまでが彼女の計算でどこからが無軌道なのかを観客に断定させない描き方には唸らされた。彼女の抗い難い魅力があるキャラクター配置によって、物語がただの“リゾート地の悪夢”に終わらず、彼女の存在が観客自身の感覚までじわじわと侵食してくるような感覚が生まれていたように思う。
本作も『ポゼッサー』と同様に、アイデンティティの喪失がメインに描かれている。ただ今回は、より社会的で普遍的な問題定義も含まれていた分、ブランドン監督の作家性がより開けて、独自性を持ちながら明確に輪郭を帯びているように感じた。
とはいえ、終盤に行くにつれてどこか“別世界の話”のようになっていくため、観客の感情が入り込む余地は限られている。もう少しストーリーテリングの目線をこちらに近づけてもらえればと思うが……たぶん本人はそんなこと望んでないだろう。
おわりに:ブランドン・クローネンバーグ作品の稀有な魅力
ブランドン・クローネンバーグは、人間の「実在」や「個が個であることの根拠」が失われていく様を、無機質な世界観の中に介入する暴力や生理的違和感によって描こうとする作家だ。その描き方はあまりにも冷たく、登場人物も観客も容赦なく突き放す。しかし、鑑賞後にはなぜか作品のことを考え続けてしまう。この感覚を味わわせてくれる映画にはなかなか出会えない。だからこそ、中毒性が高く、今後も目が離せない監督だ。
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