画像引用元: 映画.com『突然、君がいなくなって』フォトギャラリー(画像12) より引用(著作権は Compass Films,Halibut,Revolver Amsterdam,MP Filmska Produkcija,Eaux Vives Productions,Jour2Fete,The Party Film Sales に帰属します)
(原題:Ljósbrot / 英題:When the Light Breaks / 2024年製作 / 2025年日本公開 / 80分 / ルーナ・ルーナソン監督 / アイスランド・オランダ・クロアチア・フランス合作)
※本記事は映画『突然、君がいなくなって』のネタバレを含みます。ネタバレを含む章の前には注意書きを記載しています。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
試写会にて鑑賞。公開は6/20(金)。敬愛するヨハン・ヨハンソンの楽曲が使用されているアイスランド映画と知り、興味を惹かれた。80分という短さの中に、喪失の痛みと他者の受容といった繊細で複雑な感情が丁寧に織り込まれた、静かで心に沁みる作品だった。
喪失を描く作品としては『Aftersun/アフターサン』を想起させられた。『Aftersun/アフターサン』が心に残った方には、きっと本作も響くのではないだろうか。
あらすじ
舞台はアイスランドの首都、レイキャビク。主人公ウナは、ディッディと恋人関係にある。しかし彼には実は遠距離恋愛中のクララという本命の恋人がおり、ウナとの関係は秘密にされていた。そして、ディッディがクララに別れを告げるはずだったその日、彼は不慮の事故で帰らぬ人となってしまう。友人たちと共に彼の死を悼む中、ウナの前にクララが現れて──。
ウナとクララの緊張感のある関係
ウナはクララとの対峙に動揺を隠せない。直近まで彼と一緒にいたのは自分なのに、クララのほうが周囲から同情を集めている様子に、どうしても嫉妬心を抱いてしまう。だが物語が進むにつれ、クララも以前からウナの存在を知っており、ディッディと同じバンドにいたウナに対して嫉妬していたことが明かされる。
本作はこの2人の緊張感ある関係を軸に描かれており、ウナがいつ秘密を明かしてしまうのかと、観ているこちらまで緊張が走る。これは事前の予告から得ていた印象とは大きく異なっており、意外性と同時に非常に興味深かった。
ウナとクララは、一見まったく似ていない。ウナは芸術大学に通う、都会的でおしゃれな女性。一方のクララは素朴で芸術にも明るくなさそうだが、第一印象が良い“地元の彼女”といった印象だ。最初こそウナはクララと距離を取ろうとするが、クララはウナを「美人」と褒めたり、一緒にたばこを吸ったりする。他にも、教会の窓を見つめて、手を広げて下がることで“飛んでいる気分”を味わうというウナのアート発表を体験して喜んだり、電動キックボードでの二人乗りの際に顔を近づけたり──その姿に敵意は感じられない。
ウナはそんなクララと自身の感情に戸惑いながらも、同じ大切な人を亡くした気持ちを共有していると理解し、次第に心の距離は近づいてゆく。
喪失の先にあるもの
物語の終盤、ウナとクララはディッディの家を訪れる。昨晩ウナが残していったブーツをクララが目にし、2人の関係に気づいた様子だが、それを責めるような態度は一切取らない。2人は洗面台の前で一緒に指で歯を磨き、同じベッドで眠る。そこで初めて目を合わせ、抱きしめ合う。目が合った瞬間は、まるで時間が止まったかのような、永遠の一秒。 この美しい2人のラストカットは、互いの存在とディッディの不在を受け入れた証のように思えた。
もし自分がこの状況を脚本化するなら、きっとクララを主人公にして、「恋人の死」→「浮気の発覚」→「感情の揺れ」→「受容と成長」という構成にしていただろう。しかしこの作品は、あくまでもウナの視点に寄り添い続ける。映像もウナの顔や肩越しの後ろ姿のクローズアップを多用し、観客が彼女の感情に没入できるように作られている。そうすることで本作は「喪失の最中であっても、他者を尊重し受け入れることの大切さ」を、丁寧に描いているように感じた。
誰かの死を描いた作品で、ここまで誠実に“残された人々のつながり”に焦点を当てたものは、あまり多くないように感じた。登場人物全員が聖人ではない中で、それでも一人ひとりに優しい視線が注がれていたことに、深く心を打たれた。
当たり前のことだが、誰かを亡くしたあとで故人を責めたり、ましてや目の前の他者に感情をぶつけても、そこに意味はない。
それでも生きていかねばならない私たちは、目の前にいる誰かを思いやることで、自分自身の痛みも受け入れていくしかないのだ。
映像表現の美しさとヨハン・ヨハンソンの楽曲
映像は終始美しく、細部にまでこだわりが感じられた。特に印象的だったのは、冒頭のトンネルの天井に沿って流れるライトと、ラストの水面に映る夕日のカットが呼応している構図だ。原題「Ljósbrot(壊れた光)」は、筆者はディッディのことだ解釈したが、光がトンネル内で一度砕け、やがて海上へと飛び立っていく──そんな“崩壊からの再生と未来”のイメージが視覚的に表現されており、とても美しかった。
また、ウナとクララの心の距離も、映像で巧みに描かれている。初対面のトイレでの鏡越しの会話、友人の家でのガラス越しの対面、ディッディの家での髪色や緑のタンクトップの服装のリンク、そしてラストのベッドでの視線のぶつかり合い――と、視覚的にも2人の関係が変化していく様子が丁寧に描かれていた。
さらに、ヨハン・ヨハンソンの「Odi et Amo」が、作中で何度も繰り返し使われており、まるでこの映画のために書かれたかのようにぴったりとハマっていた。「Odi et Amo」はラテン語で「われ憎み、愛する」という意味。これはまさに、ウナ、クララ、ディッディの三角関係における感情そのものだ。
おわりに
『突然、君がいなくなって』は、喪失という決して避けられない出来事に、誠実で繊細なまなざしを向けた作品だった。派手な演出や劇的な対立に頼ることなく、ただ静かに、けれど確かに「誰かを想うこと」の尊さを伝えてくれる。 愛する人を失ったあとに残るのは、痛みや後悔だけではない。その人の存在が繋いだ誰かとの絆や、思いがけない理解が、私たちを少しずつ前に進ませてくれるのかもしれない。それは、喪失の中に差し込む、小さくともこれからの歩みを照らす、確かな光だ。
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