6/11(水)、長らくDVDが廃盤となっていたソフィア・コッポラの初長編作『ヴァージン・スーサイズ』が、FHD+Blu-rayでついに発売された。夢ですか?
筆者がソフィア・コッポラと出会ったのは14歳のときで、映画好きになるきっかけとなった。 いや、映画好きになっただけではない。英語を本格的に学び始めたり、上京する夢を持つようになったのも、この出会いがあったからだ。 彼女の作品は、私の人生を根底から変え、今の世界の見方そのものの道しるべになっていると言っても過言ではない。
普段はよほどのことがない限りディスクを購入しない私も、2025年に『ヴァージン・スーサイズ』のBlu-rayが発売されるとは夢にも思っておらず、 今回は迷わず購入した。 さらに嬉しいことに、特典として1998年に制作されたソフィア・コッポラの初短編作品『Lick the Star』が、日本語字幕付きで収録されていた。これは日本で初公開だと思う。(もし過去に劇場などで公開されていたらすみません)本記事では、この短編について掘り下げていきたい。
Lick the Star
画像引用元:TCE_blu-ray&pictures Xポストより引用ーより引用
(原題:Lick the Star / 1998年製作 / 14分 / モノクロ / ソフィア・コッポラ監督 / アメリカ)
※以下、『Lick the Star』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
あらすじ
中学1年生のケイトは、足の骨折で1週間学校を休んでいた。復帰後、彼女は仲良しグループが「lick the star(星を舐めろ)」という謎めいた合言葉を使っていることに気づく。 これは、リーダー格クロエが読んでいた小説『Flowers in the Attic(屋根裏の花たち)』に影響を受けて作られた、「kill the rats(ネズミを殺せ)」を逆さ読みした合言葉であり、男子生徒たちに毒を盛るという計画のコードネームだった。ケイトは留守中にその輪から外されてしまっていた。
少女たちは殺鼠剤を万引きし、男子のランチに混ぜ始める。 ケイトはタバコを持っていたことが教師に見つかり、停学処分を受けて再び学校を離れる。 その間にクロエは、歴史の授業で奴隷制度を学び、アフリカ系の友人ナディーンに向けた発言が誤解されて伝わってしまう。やがて「クロエは人種差別主義者だ」という噂が広まり、彼女は孤立する。追い詰められたクロエは自殺未遂を起こすが、それさえもゴシップの材料になってしまう。
復学したクロエだったが、仲間だった少女たちは「lick the star」の毒殺計画を周囲にもバラしており、皆が彼女を嘲笑する。一方、ケイトも登校を再開するが、すでに学校内の序列は一変していた。 クロエは“女王”の座を失い、ケイトも、クロエと関われば自分まで排除されてしまうと察し、距離を取らざるを得なくなる。
物語のラストでは、クロエが校庭でひとり、"everything changes / nothing changes /
the tables turn / and life goes on"と、すべてが変わるように見えて本質は何も変わらず、立場が入れ替わっても人生は淡々と続いていくことを詩に綴っている。そしてその詩を、ジャン・スタインによるモデルのイーディ・セジウィックの伝記『An American Biography(あるアメリカ人の伝記)』に挟む場面で終わる。
短編ながらも、すでに確立された作家性
本作はわずか14分の短編ながら、既存のバンドサウンドのポップミュージックに合わせた軽快なテンポや、雑誌の1ページのようにスタイリッシュなマスターショットの連続といった、ソフィア・コッポラらしい映像のレトリックがすでに完成されている。車に乗る少女を映したソフィアの十八番のショットに合わせて流れるモノローグには、ケイトの退屈や悪意、そしてその裏にある孤立に対する不安が滲む。既にこの時点で、コッポラが一貫して描いてきた“思春期の少女たちの強さの裏にある複雑な情緒”が前面に出ており、短編ながらも彼女の作家性ははっきりと表れている。
物語で描かれるのは、学校という閉鎖的な社会での女子グループの陰湿さ、あっという間に崩れる力関係、ティーンの無垢さと残酷さ、そしてそのなかで芽生える自立心。これらのテーマは、翌年に制作される初長編作『ヴァージン・スーサイズ』とも明確に呼応しており、本作を彼女の原点として観ることには大きな意味がある。 また、男を毒で支配しようとするというモチーフは、2017年にコッポラがリメイクした『The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』にも通じる。どちらも、“女性たちの閉ざされた世界における反抗”という彼女が繰り返し描いてきたフェミニズム的なテーマが根底にある。
クロエが読んでいる本から見る自立の芽生え
クロエが当初読んでいた『屋根裏部屋の花たち』は、屋根裏に監禁された姉弟の脱出を描いた小説だ。そして、クロエが最後に読んでいる『あるアメリカ人の伝記』は、28歳でドラッグのオーバードーズで命を落としたモデル、イーディ・セジウィックの半生を描いた作品である。自殺未遂を経験したクロエが、若くして破滅へ向かった実在の女性の伝記を読んでいることは、単なる偶然ではないはず。それは、自分自身の孤独や絶望をどこかで重ね合わせるようでもありながら、彼女が「フィクションの模倣」から「現実の理解」へのシフトをし始めているように思えた。 もちろん、『屋根裏部屋の花たち』を参考にして行う毒を盛る描写は、平気でスカートを触ってくるような男への少女たちなりの反逆として側面がある。だがそれはあくまで、力による一時的な反撃にすぎない。 クロエが最後に選んだのは、暴力ではなく、知識であり、他者理解であり、現実の人生を知ることだった。それは「暴力」ではなく「理解」によって、自分を縛っていた構造から自立して自由になろうとする、もう一つの抵抗の形なのではないか。
学校という狭く閉ざされた世界では、加害と被害の立場があまりにも簡単に入れ替わる。誰もが「明日は我が身」の世界だ。その現実に触れたクロエは、自分の内にあった暴力性や空虚さだけでなく、「自分以外の誰かの人生」や、「学校の外に広がる世界」にも目を向け始める。ラストシーンには、そんな学びと自立の芽生えが刻まれているように感じた。
↓筆者は『ロスト・イン・トランスレーション』と『マリー・アントワネット』はすでにDVDを持っているので買わなかったが、Blu-rayの画質の良さに感動したため、欲しくなっている…。
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