Left After the Credit: 思惟のフィルムノート

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【ネタバレあり】赦されたいわけじゃないけど、赦せてよかった―映画『セイント・フランシス』感想

画像引用元: 映画.com『セイント・フランシス』フォトギャラリー(画像10) より引用(著作権は SAINT FRANCES LLC に帰属します)

(原題:Saint Frances / 2019年製作 / 2022年日本公開 / 101分 / アレックス・トンプソン監督 / アメリカ)

※本記事は映画『セイント・フランシス』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

6/27(金)に公開を控える『カーテンコールの灯』の監督・脚本家による前作ということで興味を持ち、女性の生き方を描いた作品だと知って鑑賞した。主演のブリジットを演じたケリー・オサリヴァンが脚本も担当している。

 

あらすじ

34歳で定職にも就かず、結婚・出産と順調そうな友人たちとも比較してしまい人生に迷い中のブリジット。ある夏、レズビアンカップルの娘である6歳のフランシスのベビーシッターの仕事を始める。ブリジットは月経や中絶といった自身の身体や感情と向き合いながら、フランシスとの交流を通して少しずつ変化していく。自分を肯定できるようになるまでの、小さな夏の物語。

 

生理や中絶という現実を描く物語

生理による血、中絶、避妊、産後うつなど、映画では通常隠されがちな女性の身体的な現象が淡々と描かれているのが印象的だった。よく考えれば、映画の登場人物たちだって生理中だったりすることもあるはずだ。いちいち言及する必要はないとしても、まだまだ男性中心の映画業界においては省かれがちな要素だと思う。それらが過剰な演出なしにさらっと描かれていることに、好感を覚えた。

 

身体を「共有される」ことへの怒りと違和感

ブリジットの恋人とは言いがたいが、継続的に関係を持っていたジェイスは、一見するとブリジットの中絶や彼女とのカジュアルな関係にも理解があるように見える。中絶費用を出すと言い、病院にも付き添うと言って協力的なようにも思える。しかし、彼がブリジットの中絶をルームメイトに話していたと分かる場面では、ブリジットと一緒に私も怒りを感じた。『Swallow』でも似たような描写があったが、なぜパートナーは相手の身体的な出来事を無意識に“他人に共有可能な情報”として扱ってしまうのか? このような出来事が世界中で起きていて、多くの女性が違和感を抱いているのだと分かっただけでも、筆者にとっては一種の救いになった。

 

避妊と妊娠の不均衡

妊娠における男女の身体的不均衡についての違和感を、きちんと描いている点も重要だ。望まない妊娠をした際にジェイスが「避妊してなかったの?」と、あたかもブリジットに責任があるような言葉を投げかける。その後出会うギター教室の男も「コンドームは好きじゃない」と言い、「なんで避妊していないの?」(=低用量ピルや避妊インプラントを使用していないこと)と責めるような態度を見せる。中絶後、ブリジットがジェイスに「私だけこんな思いをするのはおかしいから、あなたも食中毒にでもなって」と言う場面は、冗談のように見えながらも切実な思いが込められていた。

 

産むこと/産まれることを問う、母との対話

中盤、ブリジットが母キャロルと交わす会話も心に残った。「子どもを持つのは非道徳的で無責任だと思う」と語るブリジットに、母は「それは楽観主義だ」と返す。気候変動や銃乱射、戦争の不安が渦巻くこの世界に子どもを産むことは「無責任だ」とするブリジットの考えに、私は深く頷いた。母からの「生まれてきてよかったの?」という問いに、「わからない」と答えるブリジットの気持ちも、私にはとてもリアルに響いた。いずれも私が常日頃考えていることだからだ。
生まれること自体に正当性を求めることはできない。私たちはこの世界に「生まれることを自分で選んで」きたわけではないし、「生まれてよかったかどうか」を自分の責任で答えさせられるのも、おかしなことだ。でも、そうした問いを真っ向から投げかけてくれる映画があることに、少し救われたように思う。「存在はいつだって肯定されるべきなのか?」という問いに明確な答えを出さないまま、ブリジットのように“宙ぶらりん”でいることも、生き方の一つなのだと思いたい。

 

希望としての対話、他人とのつながり

ブリジットが雇い主のアニーに「中絶後も出血が続いているのに病院に行かないのは良くない。でも中絶自体はいけないことではない」と言われて、涙を流す場面も忘れがたい。中絶したことを「気にしていない」「後悔していない」と語っていた彼女の中に、どこか消えない罪悪感があったのだろう。それは失った子どもに対してだけでなく、親に対して、パートナーに対して、かつて信仰していたカトリックに対して、そして何より、自分自身の身体に対する「申し訳なさ」のようなものだったのかもしれない。

それを経た教会でブリジットとフランシスが“懺悔ごっこ”をする場面で、中絶したことを「後悔」として語らなかったブリジットの姿は、とても強く、凛として見えた。決して赦しを乞わないその態度には、誰のものでもない自分の選択をついに受け入れた人間のたくましさが見えたからだ。

外出中に授乳していたアニーが、突然、他の母親から「不快だ」と責められながらも、相手に謝罪しつつ、きちんと対話しようとする場面も象徴的だった。人は分かり合えなくても、尊重し合うことはできるはず。ほんの少しの優しい言葉や挨拶が、分断された他者とのあいだに橋をかけるかもしれない。この描写には、そんな小さな希望が込められていた。

ブリジットとフランシスの関係が少しずつ築かれていく様子も、大人と子どもとしての関係を超えて、ラストの「生理が来たらあなたと話したい」という言葉には、確かなシスターフッドが宿っていた。

 

おわりに

すべてをうまくはこなせない。答えを出せないまま、大人になってしまった人たちにこそ届いてほしい映画。

キャリア、年齢、結婚、出産——見えない社会のプレッシャーに追い詰められそうな日々のなかで、『セイント・フランシス』は、その不器用さを否定せず、そっと寄り添ってくれる。

赦されたいわけじゃない。けれど、自分が自分を赦せたと思える瞬間があってもいい。

ひと夏の記憶が、きっと、あなたの心の支えになる。

 

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