画像引用元: 映画.com『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』フォトギャラリー(画像16) より引用(著作権は PEOPLE OF AR PRODUCTIONS and THE NEW ARMENIAN LLC に帰属します)
(原題:Amerikatsi / 2022年製作 / 2025年日本公開 / 121分 / マイケル・グールジャン監督 / アルメニア・アメリカ合作)
※本記事には映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』のネタバレはありません。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
刑務所の窓から見えた、ある家族の日常。
希望を持ち続けること、それだけが誰にも奪われない自由だった。
主演のチャーリーを演じたマイケル・グールジャンは、本作で脚本・監督も兼任している。本作は、彼自身のルーツであるアルメニア系アメリカ人としてのアイデンティティと、アルメニアの複雑な歴史に向き合った作品だ。
筆者自身、アルメニアという国には正直あまり馴染みがなかった。だが本作を通じて知ったその歴史は、想像以上に過酷だった。以下に簡単にまとめてみた。
1分でわかるアルメニアのざっくり年表
- 古代〜中世
紀元前6世紀ごろから「アルメニア」の名が文献に登場。301年に世界で初めてキリスト教を国教とした国家として立国。ローマとペルシャ、のちにはオスマン帝国とロシア帝国の狭間で、幾度も領土争いの舞台となる。
- 20世紀初頭:アルメニア人虐殺(1915〜)
オスマン帝国末期、第一次世界大戦中に150万人以上のアルメニア人が虐殺される。生き延びた人々は中東、ヨーロッパ、アメリカなどに移住し、ディアスポラ(離散民)となる。現在もトルコ政府はこれをジェノサイドとは認めていないが、アメリカやフランスなど多くの国がジェノサイドとして公式に認定している。
- ソ連時代(1922〜1991)
ソビエト連邦の一部として社会主義体制に組み込まれ、民族的・宗教的アイデンティティが抑圧される。
- 独立後(1991〜)
ソ連崩壊後、アルメニアは独立国家となる。しかしすぐにナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンとの大規模な戦争が勃発。現在も緊張は続いている。
本作の時代背景と主人公チャーリーの運命
本作は、1915年のジェノサイドから第二次大戦後のソ連支配下までを背景に描いている。ジェノサイドの際に世界に散ったアルメニア人に対し、政府は「帰国すれば良い暮らしができる」と呼びかけた。しかし、実際にはソ連の厳しい管理下にあり、その約束はほとんど詐欺のようなものだった。
主人公チャーリーもその呼びかけを信じて帰国した一人。彼は4歳の時に祖国を離れ、アメリカで育ったジェノサイドの生き残りであり、自らのルーツを辿るべく、アルメニアに戻る。しかし彼は、「アメリカ人のスパイ」だという理不尽な疑いをかけられ、「世界主義を流布した」という罪で投獄されてしまう。
チャーリーの“覗く”という行為の意味
これほど重く辛い題材でありながら、本作はコメディ調のトーンで進んでいく。チャーリーは牢屋の小さな隙間から、向かいの家の様子を窓越しに覗くことを生きがいに日々を過ごしている。過酷な労働を強いられ、金曜日には「ポンチキ」と呼ばれる大男に暴行される。それでも彼は、向かいの家族の暮らしぶりを観察することで祖国の文化を学ぼうとし、時には夫婦喧嘩を仲裁しようとさえする。絶望の中でも、祖国に戻った理由を見失わず、希望を見出して生きようとする彼の姿が胸を打つ。
看守ディグランと、芸術の抵抗
チャーリーが覗き見る家に住んでいる看守・ディグランのバックグラウンドも重要だ。彼はかつて画家だったが、ソ連体制下で絵を描くことを禁じられ、今は看守として働いている。それでも彼は、家の隠し部屋でひっそりと創作を続けていた。そしてその部屋の鍵を、喧嘩をして出ていった妻が天使の花瓶にかけていったのを見つけられないディグランに、チャーリーが何とか鍵のありかを伝えようとする。
芸術や表現は、抑圧や制度で奪えるものではない。コロナ禍という困難な状況の中、アルメニアの地でこの作品を完成させたマイケル・グールジャン自身が、表現の自由を諦めなかった作り手として、それを体現しているように思えた。
タイトル『アメリカッチ』が示すもの
タイトルの『アメリカッチ』には、帰還した“アメリカかぶれ”への皮肉や揶揄の響きが含まれている。だが本作で描かれるチャーリーは、詳細には語られないものの、アメリカでもきっとよそ者扱いされ、帰国したアルメニアでも異邦人として扱われてしまう。
彼は、自国にも他国にも属せず、どこにも居場所を持てないまま、アイデンティティを見失っている。
そしてこれは彼一人の話ではない。移民やディアスポラとして生きる多くの人々が、「自分の居場所はどこにあるのか」と問い続けながら暮らしている。その現実に、私も思いを馳せずにはいられなかった。
演出と細部の魅力について
- ロシア語・アルメニア語・英語の通訳ジョークが前半に多く登場するのが楽しかった。なかでも、チャーリーがネクタイをしていただけで目くじらを立てられる場面で、通訳がそれをうまく伝えられず、「ネクタイをみんなにプレゼントすれば釈放される」と勘違いしてしまうくだりは思わず笑ってしまった。
- 中庭で「アルメニア豆知識」を語るおじいさんがとても好きだった。「ワインもビールもアルメニアが発祥」「アメリカの紙幣のインクはアルメニア産」など、誇らしげな語り口が印象的。彼は無事だったのだろうか……。
- チャーリーは刑務所内で「チャーリー・チャップリン」とあだ名を付けられるのだが、彼が覗く窓の向こうでは、まるでサイレント映画のような光景が展開されていく。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である("Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.")」そんなチャップリンの有名な言葉をそのまま体現するようなチャーリー自身の姿と、その距離感を巧みに重ね合わせた演出に唸った。“映画を観る”という快楽を喚起する演出であり、監督のセンスが光っていた。
- シネマスコープ(横長アスペクト比)で撮られた画面が、チャーリーが家を窓越しに覗く構図にぴったりだった。刑務所と家は実際には遠く離れているように見えるが、スクリーンの中ではズームされ、しっかり見える。「これが映画のマジックか……」としみじみ思った。
おわりに
これほど痛ましい歴史を、ユーモアと希望を見失うことなく描ききったマイケル・グールジャンの手腕には、ただただ驚かされた。ジェノサイドの生存者である祖父をモデルにしたというチャーリーのたくましい姿と、アルメニアの記憶に、ぜひ本作を通じて触れてみてほしい。
そして忘れてはならないのは、アルメニアは今も戦争の渦中にあるという現実だ。本作の撮影が終了してわずか2か月後、再びアゼルバイジャンとの戦闘が勃発し、多くのキャストやスタッフが戦場へと向かったという。*1
映画を観るという行為は、「今この世界で起きていること」へのまなざしを持つことでもある。『アメリカッチ』は、アルメニアの過酷な歴史の中でも希望を見出そうとする人間の強さを描きながら、映画というメディアが持つそんな力を再認識させてくれる一本だった。