Left After the Credit: 思惟のフィルムノート

アート系・インディペンデント系の海外映画を中心に、新旧問わず感想や考察を綴っています。

【ネタバレあり】自分の“運”を受け入れること―映画『フォーチュンクッキー』(2023)感想

画像引用元: 映画.com『フォーチュンクッキー』フォトギャラリー(画像11) より引用(著作権は Fremont The Movie LLC に帰属します)

(原題:Fremont / 2023年製作 / 2025年日本公開 / 91分 / ババク・ジャラリ監督 / アメリカ)
※本記事は映画『フォーチュンクッキー』のネタバレを含みます。ネタバレを含む章の前には注意書きを記載しています。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

試写会にて鑑賞。公開は6/27(金)です。監督はイラン出身でロンドン育ちのババク・ジャラリ。本作は彼にとって長編4作目となる。
主人公を演じたアナイタ・ワリ・ザダは、アフガニスタンでジャーナリストとして活動していたが、作中の役と同じように、タリバン復権の際にアメリカへと脱出したという実体験を持つ。

 

主人公ドニアの眠れぬ夜

主人公は、タリバン復権の際に命からがらアメリカに逃れてきた女性・ドニア。現在は、カリフォルニア州フリーモントのチャイナタウンにあるフォーチュンクッキー工場で働いている。アメリカに来て8か月、不眠に悩み、精神科に通い始めた彼女は、カウンセリングの中で徐々にその過去を語り始める。

かつて米軍の通訳として働いていた彼女は、仲間たちの多くを亡くし、祖国に残した家族も「裏切り者の娘を育てた」と周囲から非難されているという。医師はPTSDと診断するが、彼女は淡々と「違う。ただ眠れないだけ。薬さえもらえればいい」と語る。
まるで、自分の痛みに気づかないようにしているかのようだった。

 

“生き残ってしまった”ことへの罪悪感

彼女は、自分の「幸運」を恨んでいる。なぜ自分だけが生き延びて、アメリカで暮らしているのか。多くの通訳の仲間が命を落とし、祖国にはまだ苦しんでいる人がいるにも関わらず、この地で恋をしたい、自分も幸せになりたいと思ってしまうことへの罪悪感。

これは決して遠い国の特殊な葛藤ではないと思う。今この瞬間にも、世界中には戦争や飢餓で苦しんでいる人がいるのに、私自身、安全な場所で映画を観て、こうやって感想を書いている。「それでいいのか?」と自問する彼女の問いは、観客にも返される。

 

※この先は物語の結末に触れるネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

 

“運”を受け入れること

ある日、ドニアは工場で製造するフォーチュンクッキーの中に、「Desperate for a dream」という言葉とともに、自分の電話番号を忍ばせる。やがて、そのメッセージを見た誰かからSMSが届き、会ってみようと、彼女は決める。

道中、整備士のダニエル(ジェレミー・アレン・ホワイト)と出会う。彼は「アフガン人と話すのは初めてだ」と言いつつも、彼女の過去を詮索せず、ただ静かに向き合う。彼自身もどこか孤独を抱えているようだ。ドニアは「この出会いという“運”を、私は引き受けていいのか?」と迷う。けれども、最後にはその出会いを受け入れる。

予告やポスターから、メッセージを見て連絡をしてきたのはダニエルだと思い込んでいたが、それは完全なミスリードだった。その展開のズレも含めて、この作品の面白さだと感じた。
思い通りにはいかなかったとしても、その過程で結果的に出会いが生まれているという構造は、どこか示唆的でもある。人生もまた、そんな風にズレながらもどこかで重なるのかもしれない。

 

交差する言語と文化の中で

原題であり、物語の舞台となる「Fremont」は実在するアメリカの地名で、アフガニスタンからの難民が多く暮らす町でもある。作中でも英語、ダリ語、広東語と、多言語が飛び交い、人種や文化の共存がナチュラルに描かれている。

印象的だったのは、ドニアが「メッセージが来た」と同僚に話す場面だ。同僚が彼女に「男性から?探しているのは男性でいいんだよね?」と、確認する。異性愛的な出会いを前提としない、さりげない配慮を感じられ好感が持てた。

 

おわりに

スタンダードサイズのモノクロ映像は、初期のジャームッシュやノア・バームバックの『フランシス・ハ』を思わせる。また、労働者の小さな出会いを描くという点では、アキ・カウリスマキ的でもある。

彼らの後進が現れたという喜びはあったが、映像的に特別な目新しさは感じなかったのが正直なところ。(実際のフォーチュンクッキー工場での製造工程のシークエンスは少し楽しかったし、正方形に近いアスペクト比と色彩の無さでドニヤの閉塞感を描いているというのは理解できるが。)

それでも、格言やユーモア、そして社会的なテーマまでもが風通しよく織り込まれていて、90分という短さの中に、しっかりとした密度があった。

そしてそこには、フォーチュンクッキーのように、小さくても責任のある、確かなメッセージが込められていた。

私も、幸せになっていいんだ。そしてそれを決めるのは、私自身だ。

 

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