画像引用元: 映画.com『ペパーミントソーダ』フォトギャラリー(画像19) より引用(著作権は TF1 DROITS AUDIOVISUELS - ALEXANDRE FILMS-TF1 STUDIO に帰属します)
(原題:Diabolo menthe / 1977年製作 / 2024年日本公開 / 101分 / ディアーヌ・キュリス監督 / フランス)
※本記事には映画『ペパーミントソーダ』のネタバレはありません。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
本作は、1977年にフランスで公開されたディアーヌ・キュリスの長編デビュー作であり、彼女自身の少女時代を反映した自伝的な青春映画である。
日本では2024年12月に4K修復版として初めて劇場公開され、40年以上の時を経て鑑賞することができた。
あらすじ
舞台は1963年のパリ。主人公は両親が離婚し、母とアパートで暮らす中学生アンヌと高校生の姉フレデリック。第二次性徴や小さな見栄による嘘、異性への関心、大人への反発、そして少女の残酷さと人間関係の変化、政治への目覚め……。そうした思春期特有の感情が、女子校での一年間で起こる小さなエピソードの積み重ねのなかで、みずみずしく映し出されていく。
姉妹の対比が映す成長の段差
アンヌは、姉と比較されることへの不満から反抗的になってゆく。二学年しか違わないにも関わらず、お小遣いや門限に差がある理不尽。*1 そうした小さな差異が不平等に感じられることが、彼女の苛立ちの原因のひとつのように見えた。
しかし、自分も今になって分かるが、この年齢での二学年差は心身ともに想像以上に大きい。それがアンヌとフレデリックの対比でうまく描かれていた。
教師と親の姿
かつてはこのような作品を観ると、思春期の少女たちの視点に強く共感していたが、今回は教師や親の立場にもつい目を向けてしまった。
確かに、母親がアンヌのストッキングを禁止したり、テストの点数を皆の前で言いふらしながら用紙を返却したり、アンヌの絵を皆の前でバカにして汚したりする教師の姿には過剰な厳しさも感じる。だが、教育者や保護者として彼らが子どもを守り、導こうとする当時なりの振る舞いもところどころに見られる。
それでも少女たちは残酷だ。気弱な数学教師を集団で嘲笑し、教室はほぼ学級崩壊のようになっている。その状態ではさらに厳しくする他ないのに。彼女たちは、いつか自分たちも本当の意味で大人になるということをまだ知らない。
異性の視線の違和感
大人の男性のまなざしに少女たちが晒される描写も印象的だった。フェンス越しに体育の授業を覗き見る男たちを追い払う体育教師。試着室のない店で着替えるアンヌをニヤニヤと見つめる店主にフレデリックが気づき、悪態をつく場面。少女たちは、社会の性的視線のなかで生きていく居心地の悪さを自覚し始めていた。
少女たちの儚い友情
フレデリックが政治に関心を持ち始め、長く仲の良かったペリーヌと疎遠になり、パスカルと親しくなっていく流れも忘がたい。*2
かつて筆者も、高校時代にいつもお昼を一緒に食べていたグループから少し浮いてしまい、ある日を境に新しい友人たちのもとへ移っていった経験がある。当時の自分にとっては、心臓が飛び出しそうになるほど大きな出来事だった。けれども日常は、そして世界は、何事もなかったかのように過ぎ去ってゆく。その不思議さと、ほんの少しの残酷さが、この映画でも如実に語られていた。
革命前夜のざわめき
少女たちを待ち受けるのは、やがて訪れる1968年の五月革命だ。作中にその明示はないものの、その足音はかすかに響いている。
五月革命とは、1968年5月、パリを中心に学生運動が爆発し、それに労働者の大規模ストライキが加わったことで、フランス社会が一時的に麻痺状態に陥った歴史的事件である。大学制度や労働環境、家父長的価値観への反発が噴き出し、戦後フランスにおける転換点のひとつとなった。
当時の若者たちは、自らの声と身体を使って社会を変えようとした。作中でも、少女たちの政治への関心や、大人や学校への不信感などの小さな違和が積もり、時に万引きや家出、教師への暴言、校内での暴走などの反抗として現れる。この少女たちの感情の揺らぎが、この大きな転覆の“予兆”のように見えた。
気になった点
物語に明確な起承転結があるわけではないため仕方ないが、一学期に成績の悪かったアンヌが、寄宿舎行きを逃れるために二学期に向けて努力をしたのかどうかが描かれなかった点は少し気になった。
また、個人的には、フレデリックが同級生の父親とキスをする場面には違和感を抱いた。フェイクであればまだよかったが、そうではないように見えた。このシーンは、少女の中にある漠然とした大人の男性への憧れの表現と受け取るだけでは済まないような、一線を越えたもののように感じられた。
映像と衣装、60年代のフランスの美
60年代フランスのファッションやヘアスタイルは実に愛らしい。また、この時代のカラフルな建物が並ぶパリは、カメラで切り取るだけでなぜかシネマティックに見える。かつて60年代のフランスに憧れて大学でフランス語を専攻していたほどだった筆者としては、当時のファッションや風景を眺めているだけでも心が躍った。
おわりに
本作は、日記をめくるような断片の連なりで構成されているにもかかわらず、あっという間の一年という時間のなかで、少女たちが時に傷つき、結束し、まだ知らぬ世界に憧れながら、確かな変化を遂げていたことに気づかされる。
そして何より、この物語が女性の手によって、女性たちの視点から描かれているという点に大きな意味がある。少女たちの内面をこれほどまでにみずみずしく、そして丹念に描いた本作は、いまなお決して古びていない。フランス青春映画史のなかで、これからも輝き続ける一本と言えるだろう。
『ピクニック at ハンギング・ロック』やソフィア・コッポラ作品が好きな人には、きっと響く作品だと思う。
↓先日感想を書いたソフィア・コッポラの初短編「Lick the Star」とも共通点を感じた。