画像引用元: 映画.com『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』フォトギャラリー(画像32) より引用(著作権は PLUS M ENTERTAINMENT AND SHOWBOX CORP に帰属します)
(原題:대도시의 사랑법 / 英題:Love in the Big City / 2024年製作 / 2025年日本公開 / 118分 / イ・オニ監督 / 韓国)
※本記事は映画『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。
鑑賞前に抱いていた懸念
クィア男性のジフン(ノ・サンヒョン)とシスヘテロ女性のジェヒ(キム・ゴウン)の友情を描く物語ということで、「これはいわゆる“GBF(Gay Best Friend)”ものでは?」と少し身構えてしまい、当初は鑑賞を避けていた。
しかし2025年上半期に観た作品を振り返る中で、アジア映画の本数が少なかったことに気づいて反省したこと、そしてキム・ゴウンが『トッケビ』や『シスターズ』で馴染みのある俳優だったこともあり、劇場まで足を運んだ。
結果的に、その懸念は杞憂に終わった。私が危惧していたようなGBF的な視点(ゲイの友人をアクセサリー的に扱うような行動)を作中できちんと批判的に描いていたからだ。具体的にはジェヒに呼び出されたにもかかわらず来なかったことを咎められたジフンが「俺はお前の手下ではない」と毅然と告げたり、彼自身のセクシュアリティへの葛藤や母親との関係も描かれ、ジフンにジェヒの引き立て役としてではない主人公としての描かれ方と主体性があったので安心した。
また、奔放なジェヒも「変わっている」と周囲から除け者にされたうえで、恋愛では相手に軽んじられ、孤立感を抱えていることをジフンに吐露する場面があるなど、それぞれのキャラクターの内面に踏み込んだ描写があり、2人をステレオタイプ化せずに丁寧に掘り下げていて、好感を持った。
理想的な友情とは
そして、2人の友情は美しく、尊い。もちろんすべてが上手くいくわけではなく、ジフンがジェヒの意思に反して彼のセクシュアリティを暴露(アウティング)してしまったりする。しかし、ジェヒがそのことをすぐ反省し、そのあとの場面では彼が自分らしく生きることを応援しながらも、まだクローゼットで居たいという彼の意思を尊重するような場面があり、理想的な絆がそこにはあった。
ラストの物足りなさ
ゆえに、ラストの展開にはやはり物足りなさが残る。 ジェヒの結婚によって物語を締めくくるのであれば、なぜ現代の韓国において、フンスにはそれが叶わないのか、その非対称性の問題について言及する必要が絶対にあったはずだ。
2人が社会から冷たい視線や暴力を受けてきた背景には、明らかに制度に起因する差別意識や“自由な女性像”への不寛容といった社会の構造的問題がある。しかし本作は、そうした要素に正面から向き合うことなく、フンスを「誰かの幸せを横から見守る存在」へと収め、ジェヒの結婚を幸福のゴールとして描いてしまった。結果として、「制度の内側にいる者だけが祝福される」というぬるい現実のみが残ってしまった。
もちろん、社会批判的な描写に困難が伴うことは理解できる。しかし、たとえばフンスがフランスへ移住するなどして、それを仄めかす描写があってもよかったのではないか。結局フンスは就職もしていないようで、彼の物語がまだ道半ばで終わってしまった点が気にかかった。たとえば、ジェヒの結婚 → フンスは新たな愛と同性婚の可能性を求めてフランスへ移住 → フランスでジェヒとの思い出を小説にし作家デビュー → 数年後、韓国の本屋で逆輸入されたその本を見つけるジェヒ。そんなラストであれば、フンスの未来にも光が差すような、双方向の物語になっていたのではないだろうか。
さらに言えば、そもそもジェヒの結婚という結末でなくともよかった。奔放で型に囚われない女性として描かれてきたジェヒが、結局最後には従来的な制度に内包されてハッピーエンドとされてしまう展開には、がっかりしてしまった。
とはいえ、子宮を模した人体模型で支配的かつ差別的なクソ男に反撃する場面があっただけで、個人的には1億点です!