Left After the Credit: 思惟のフィルムノート

アート系・インディペンデント系の海外映画を中心に、新旧問わず感想や考察を綴っています。

【ネタバレなし】ルノワールが描かない子ども―映画『ルノワール』感想

画像引用元: 映画.com『ルノワール』フォトギャラリー(画像15) より引用(著作権は「RENOIR」製作委員会+International Partners に帰属します)

(原題:ルノワール / 2025年製作 / 2025年日本公開 / 122分 / 早川千絵監督 / 日本・フランス・シンガポール・フィリピン合作)

※本記事は映画『ルノワール』のネタバレはありません。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

『PLAN 75』(過去鑑賞済み)の早川千絵が脚本・監督ということで、ただの子どもの成長譚にはならないだろうと予想していた。その予感は的中し、終始不穏で、不安に満ちた鑑賞体験だった。本作は非常に解釈の余地が大きいこともあり、ここでは私の個人的な解釈や観ながら感じたことを、取り留めなく記しておきたい。(鑑賞してから数日、考えては書いて、考えては消してを続けていたのだが、結局上手くまとめられなかった…)

 

フキの死の想像について

冒頭、フキ(鈴木唯)が「人が死ぬと、その人がかわいそうだから泣くのか、それとも自分がかわいそうだから泣くのか」と自分の死を想像を綴った作文を読んでいる。しかもその死因は他殺だ。この不吉な導入のせいで、観客としての私は、彼女が死ぬのではないかという不安を終始抱えることになる。
超能力の訓練、踊り場から落としたヨーヨー、父(リリー・フランキー)の病室の窓に結んだ紐、悲惨な家庭内殺人の報道、母(石田ひかり)のアンガーマネジメント研修、父との競馬場、キャンプファイヤー、伝言ダイヤル、海水浴――。どれも彼女の「死のフラグ」に見えてしまい、鑑賞体験そのものがずっと冷や汗まじりだった。

 

80年代の日本:不信と混沌の空気

本作には80年代の日本社会に蔓延していた“うさんくささ”が随所に描かれている。超能力、UMAの目撃談、浄水器の電話営業、おまじないの本、手相占い、偽健康食品、似非気功――。
フキはそれらすべてをフラットに受け取りながら、「大人の世界とはこういうものなのか」と吸収しているように見えた。その目に希望は感じられない。

 

音の演出

私は普段から音に敏感なタイプだが、本作の「音のうるささ」は特に印象に残った。誰かがフキに話し始めたり、重要な場面に入った瞬間に、踏切や電車、生活音が急に大きくなり、集中を妨げてくる。
例えば、北久理子(河合優実)が夫の死について話すシーン。その背後でフキが部屋を物色し始め、音に紛れて肝心な台詞が上手く聞こえなくなる。これは明らかに意図的な演出で、子どもにとっては「生活音」と「大人の会話」が同列で流れ込んでくるということだろうか。あるいは、大人は「子どもには理解できない」と高を括って色んな秘密を子どもの傍で話すが、実際には子どもはすべてを等しく聞き取っているという意味かもしれない。

 

大人がまなざすフキ

フキは、大人たちが自分を“見ている”ことに、薄っすら気づいている。世界の子どもたちが泣いている映像集を見ている自分を想像していたり、終盤に浪人生(中島歩)と出会う場面でも、彼の本当の意図までは理解していないが、「自分に関心があるらしい」ということは察している。彼との遭遇には、明らかに性的な危うさが漂っており、きっと大人になったフキは、あれがどれだけ危険な状況だったかを思い返すことになるだろう。

『PLAN 75』が高齢者という社会的弱者に注がれる冷淡な視線を描いていたように、本作は「子ども」という別の弱者を通して、彼らに向けられる危ういまなざしを暴きながら、大人たちが気づかないまま放置している子どもの孤独を浮かび上がらせているように感じた。

 

海外への淡い憧れ

英会話レッスン、父の医療系の洋書、船の上で外国人と踊る夢――。どれも80年代の日本が抱いていた、海外への淡い憧れや逃避願望の象徴に見えた。「日本では幸せになれないけれど、“どこか別の場所”なら幸せになれるかもしれない」と信じたくなる、そんな時代の空気。
早川千絵は一体どこまで日本を悲観しているのだろうか。観ていて苦しくなるほどの厭世観を感じた。

 

タイトル『ルノワール』について

本作のタイトルは、画家ルノワールの《可愛いイレーヌ(イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢)》が劇中に登場し、フキがこの絵に興味を示して父に複製を買ってもらう場面があることに由来している。この絵は、ふっくらとした頬や柔らかな表情が印象的で、ルノワールが描く理想化された子ども像の代表作と言えるだろう。
本作のポスターに写るフキも一見「理想的な子ども」らしく、笑顔であるが、こちらの勝手な期待を跳ね除けるかのように、映画の中身自体は不可解で、完全には読み取れない。

「子ども=無垢で可愛い存在」と言う大人の幻想に対して、このタイトルは“美しい部分だけを切り取ること”へのアンチテーゼとして機能しているようにも感じられた。

 

おわりに

私は勝手にフキに感情移入し、彼女の目を通して日本社会を見て勝手に絶望した。私自身の死まで想像しながら、フキに向けられる「死に関する同情の言葉」にもどこか軽薄さを感じてしまった。ラストでフキが成し遂げる「あれ」も、まるで、無垢なままでは生きていけない世界で、この嘘に満ちた社会に順応し、フキがその一部になってしまったように感じられ、胸がざわついた。

そしてエンドクレジットで流れるHONNEの曲。「人生は一度きりだから、楽しんで、思い出を残そう」というポジティブな人生賛歌だが、「えっ、この映画ってそんな内容だったっけ?」と戸惑いながら席を立った。
良い意味とは言えないかもしれないが、今年観た映画の中でもひと際忘れられない作品となった。

 

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